環境地獄でも走り方ひとつで劇的に変われる
どうもこんにちは!
ゆうやです!
今回は、前回ご紹介した地獄の環境下で
1500mのベストタイムを更新できた
経緯や要因をお話ししていこうと思います!
ベストを更新したのは高校3年の夏でした。約3年もかかりました。
やはり始まりは走りの変化からでした。
いつもと変わらず鬼のような練習を積み重ねている中、ある日から身体が軽くなる感覚が出てきたです。
いつもなら苦しくなってくるペースのはずなのに、なぜか余裕がある。
確かに調子が良かったというのもあったと思います。
それでもウォームアップのjogの段階からいつもと何かが違う感覚がはっきりわかっていました。
徐々にこれが「骨盤が立つ」ということなんだと理解してきました。
いや今更かい!
中学から長距離をずっと走ってきて、骨盤が立つ感覚を理解したのが高校3年の夏。
本当に何も考えずに走ってきたんだなぁ自分、と頭が一瞬フリーズしました。
それまでずっと私の骨盤は寝ていたということになります。
それで逆によく推薦もらえる選手になれたなと感心すらしました。
それからは人が変わったかのように、走ることに対して考えるようになりました。
あ、今蹴る走りになっている
今日は股関節がよく動いている
と自分の身体の感覚も敏感になっていきました。
周りもわかるレベルで変化していたらしく「なんか調子良くなってね?」などとチームメイトに言われるほどでした。
頑張らなくても勝手に身体が前に進む、走るってこんなに気持ちいいものなのかと感動するレベルでした。フリーjogなんかしたら勝手にペースが上がるから最後キツなって終わっていました。
だけどすごい爽快感でもっと走りたいと思うほどでした。
一番嬉しかったのは、今まで全くついていけなかったスピード練習が粘れるようになったことでした。
1000m×6設定タイム3分15秒
いつもなら3本目あたりから設定タイムを外していたのに、4本目まで粘れて5、6本目も3分20秒台でまとめることできた時は自身にもなりました。
1500mは初めて4分一桁台で走れて、5000mも高校最後の記録会で16分を切ることができて
なんだかんだで高校陸上生活をうまくまとめることが出来ました。
ブランクはありますが、今も私は現役で走っています。あと頃の感覚を思い出して、地元マラソン大会ではありますが年齢別で1位になれたり、高校の時は走らせてもらえなかった地元出身者でチームを組んで走る駅伝大会にも走らせてもらいました。
高校の陸上は走ることはもう十分だと引退しましたが、やはり走ることが好きだからまたこうして走り始めました。
高校の時が散々だったからこそ、高校の時の自分をまだ越えられるんじゃないかと日々無理せず頑張っています。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました!