地獄の高校陸上生活

どうもこんにちは!

 

ゆうやです!

 

今回は思い出すのも辛いくらい苦労した私の高校時代の陸上について話していこうと思います。

 

前回の話までの輝かしい中学までの栄光は消え去り、高校陸上のレベルの高さに打ちひしがれるところから私の高校陸上生活は始まりました。

 

双子の兄弟とエースも共に進学した地元のスポーツ校には、県内から実力のある選手を推薦して集められていました。

 

私は環境の変化にも戸惑っていたところもあり、本来のパフォーマンスを発揮できない状態が続き、高校最初の記録会では中3春先頃のタイムしか出ませんでした。

推薦した顧問の先生も半分呆れていたでしょうね。

中学のままでは高校は全く通用しなかったのです。

練習にもほとんどついていけず、400mインターバルは周回遅れ、ロードワークすらも離され、記録もでない、選手にも選ばれない。

本当に地獄のような日々の繰り返しでした。

何度も部活を退部して他の学校に編入しようかとも思いました。

 

そのくらい追い詰められていました。

 

この時の私はランニングフォームが足で地面を蹴って進むスタイルだったので

 

股関節の使い方など知る由も無く

無駄に体力を消費する効率の悪い

走り方を繰り返していたので、

怪我や故障にも見舞われていました。

 

練習量も強度も中学の頃の比にならないくら急激に上がり、身体もそれに対応しきれませんでした。

 

いつもギリギリのペースなんとか集団にしがみつきながら走っているわけですから、ランニングフォームのことなんて考えている余裕なんてありませんでした。

 

股関節を使わずに下腿で地面を蹴ってばかりいた結果、扁平足になり外反母趾にもなりかけました。

 

どんなに自宅で身体のケアにあてても

朝練からコンクリートのアップダウンを10km走って本練習でまた強度の高いメニューを消化する。

いつ疲労骨折を起こしてもおかしくない環境下で練習を続けていました。

 

授業中は足裏にゴルフボールや🎾を当てて少しでも疲労回復に努めました。

 

私の母校では、このような毎日が当たり前のように過ぎていきました。

 

練習を積むのも大事ですが、適度に休養をとることも練習も積むことのひとつです。

強度の高いポイント練習をしっかり消化するのも大事ですけど、その間のフリーjogもただダラダラやるだけでは時間の無駄です。

ポイント練習=点、その間は線で結ばれるのだから、点があっても線でつながっていなければ意味がありません。

一つ一つの練習の意味を考えながらメニューを消化していきましょう!

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました!